席を譲る難しさ
私は、バスや電車で席を譲るのが苦手である。
まず、他人に突然声をかけるのにある程度の勇気がいる。
そして、声が小さいので伝わらないこともある。
(怪訝な顔をされたり、「この人、降りないのになぜ立ったの?」みたいな反応されたり)
また、3回に1回は固辞される。
(「すぐ降りるから大丈夫よ」と断られることが一番多い。でもどちらかが降りるまでなんだか気まずい気分になる)
なので、大勢の人が乗ってくる駅やバス停に停車するときには、先に席を立って空けておくこともある。
無駄な心理戦をしているようでけっこう気持ちが磨り減るので、乗った時点で空席が無い時の方がありがたい気持ちになることもしばしば。
まあ、仕事帰りなんかは疲れているので座りたいとも思うのだけれど。
いつだったか、大荷物を抱えた若い女性に席を譲ろうとしたが、「大丈夫です、すぐなので」と固辞された。
すると次の停留所で別の席が空いた。
しかし女性は座らない。
私の言葉を固辞した手前、座りづらいのではないか…と、なんだか申し訳なくなった。
そしてやはり、その方が降りるまで気まずい気分ですごした。
「座った方が楽だから、譲りたい」という好意と、「せっかく先に座っているのに、申し訳ない」という好意の、せめぎ合いというか、駆け引きというか、初対面の他人同士だからこその難しさをいつも感じている。
読書感想メモ(1)
日々、ぼちぼちと読みつづける百年文庫(ポプラ社)。
現在は、『掟』(百年文庫20)の途中。
戸川幸夫「爪王」、ジャック・ロンドン「焚火」、バルザック「海辺の悲劇」の三篇。
「爪王」椋鳩十の作品は好んで読んでいたので、いつかは読みたいと思っていた戸川幸夫。さすがに唸るほど面白い。自然の摂理、生命の本能、魂を燃やすような生き様を描く作品は、動物でも人間でも、自分が追体験しているように感じられてとても好きです。
「焚火」は、極寒の地での生きるか死ぬかの狭間で歩をすすめる男の話が、息をつかせぬ緊張感と臨場感で…好きな作品でした。と言うのも子どもの頃、スコット大佐の南極探検を描いたノンフィクション漫画を読んで戦慄した経験があるから。怖かったけれど、忘れられない漫画です。以後、寒冷地や雪山登山などの作品はひと際思い入れが強く、恐怖に身震いしながらも、頁を繰る手を止められないという謎の中毒性を感じます。そのほか、福音館書店の『冬のデナリ』も大好きな作品。
さて、お次はバルザック。明日以降の読書の楽しみ。
日々の雑記帳として
特に理由もなく始めてみるブログです。
おそらく映画や読書、スポーツの感想雑記がほとんどになるかと思われます。
記憶のメモ帳代わりのつもりですが、不定期にしか書かない気もします。
早速、現在の読書の感想から。
『昏』ポプラ社 百年文庫89
北條誠「舞扇」、久保田万太郎「きのうの今日」、佐多稲子「レストラン洛陽」の三作品が収録。ほぼ読んだことがない作家ばかりで、北條誠さんは名前すら初めてでした。
どの作品も斜陽を感じる内容で(共通するテーマが「失われゆく世界への愛惜が滲む」作品なので当たり前ですが)、でもそれぞれに立場や状況や感じ方が違って、それぞれに読み応えがありました。
特に、久保田万太郎さん。作品は未見だったものの、人物だけ先にいろいろと知っていたものだから、文章の洒落た雰囲気に驚いてしまいました。よく考えれば戯曲も多く書いた人なのだから、ト書きのような文体はむしろ彼らしいものなのだろうけど、「おじいちゃん」的な好々爺イメージを持ってしまっていたがために意外にしか思えなくなっていました。しかも70歳頃に書いた最後の小説とのこと。14ページという短い作品ながら、久保万さんのすべてが詰まった作品だったのかもしれません。
今は百年文庫シリーズをぼちぼち読みすすめているので、また感想を雑記することがあるでしょう。
本日はこの辺りで失礼します。